カレル・アペル 心地よい空間へ
感性、 ではない
ギャラリーへ
ムードを選ぶだけで、空間がそれに応えます。光は冷たさや温もりを帯び、空気の流れが変わり、その感情を宿した作品だけが暗闇の中から浮かび上がります。それ以外のすべては、影の中へと退いていくのです。
カレル・アペル
大胆な筆致に刻まれた生涯:カレル・アペルの世界 幼い頃から「キク」の愛称で親しまれたクリスティアン・カレル・アペルは、戦後の芸術界に、まるで色彩とエネルギーが鮮やかに爆発するかのような衝撃をもって現れました。1921年にアムステルダムで生まれた彼の幼少期は、理髪師であった父や、母を通じてフランスのユグノーの血を引く家系など、オランダの労働者階級の日常的なリズムの中にありました。しかし、その地に根ざした生活は、やがて既成概念を打ち破り、ヨーロッパ芸術の風景を塗り替えていく、抑えきれない芸術的衝動によって上書きされることとなります。転機となったのは14歳の時、初めて描いた果物の静物画でした。その後まもなく、叔父のカレル・シュヴァリエから絵具セットとイーゼルを贈られ、彼から初期の指導を受けることになります。これらの贈り物は単なる道具ではなく、想像力が支配する世界へと解き放たれる鍵となったのです。第二次世界大戦の影は、アペルの形成期に大きくのしかかりました。ドイツ占領下の時
期にアムステルダムの国立美術アカデミーで学んだ日々は困難を極めましたが、そこでコルネールやコンスタントといった志を同じくする芸術家たちと生涯の絆を結びました。この友情が、彼の芸術的進化において決定的な役割を果たすことになります。自身の進む道に対する両親の反対や、ナチス支配下での強制労働への恐怖に直面しながらも、アペルは周囲への同調を拒み、芸術に捧げる人生を選び取るべく、勇気を持って家を出たのです。 CoBrA革命:自発性と幼子の視点 アペルの芸術的旅路が真に燃え上がったのは、1948年の「CoBrA(コブラ)」グループの結成でした。この名称は、コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムという運動の中核をなす都市名の頭文字から取られています。コルネール、コンスタント、ヤン・ニューウェンハイス、クリスチャン・ドトレモンと共に、アペルは確立された芸術的規範からの急進的な脱却を先導しました。CoBrAは単なる様式ではなく、自発性、実験精神、そして子供の芸術や原始文化に…